人間ドック誕生秘話

人間ドック誕生秘話

「医療というのは、医師だけの手ではうまくいくものではない。
よき医師とよき患者との共感、協力があって実る」―。

これが弊社の創立者・大渡順二および同志の一貫した主張です。今から半世紀前の1954年(昭和29年)に始まった「人間ドック」の開発は、この主張を具現化し、予防医学に風穴にあける大きな挑戦でした。

この努力に対して1960年(昭和35年)、同志を代表して大渡が日本病院協会から病院協会賞を受賞しました。

アイディアからドック試運転まで

1954年当時、成人病(生活習慣病)予防のために全身の健康状態をチェックしてもらうのには、病院内の各科を面倒な手続きを踏んで転々としなければなりませんでした。しかも、いま人間ドックで行われている数十項目の検査を受けるのには何か月も費やすことになります。

こうした病院中心のシステムを改め、ベルトコンベアにのった患者を各科の医師が次から次に検診し、コンベアの最後では、得られた検査データをもとに主治医が総合判定をするというシステムを作りたい。検査開始から総合判定までの期間は6日間―。このアイディアは、国立東京第一病院(現・国立国際医療センター)の守屋博医師(病院管理学の指導者)との議論の過程で生まれました。同病院での試運転に協力していただいたのは、政治評論家の細川隆元氏、『保健同人』の表紙絵を担当してくださった東山魁夷画伯、ロイター通信の幹部記者である恒川真氏。3氏からはその後の健康管理に役立つ貴重な収穫が得られたと予想外の好評をいただき、同時に、病院側のシステム改革にも一石を投じることになったのです。

いよいよ国内初の人間ドックが開設

読売新聞記事

日本発の人間ドックは、言いだしっぺである保健同人社が運営を全面的に担当し、検診作業は国立東京第一病院が行うという形でスタートしました。受診を希望する人の受付から登録、そして経営維持まで責任を負う当社のスタッフは大忙しでした。

もちろん当時は人間ドックという言葉はなく、「短期間入院特別健康精査」という難しい名前で呼ばれていましたが、昭和29年9月19日の読売新聞紙上でこの取り組みが大きく紹介され、そのときに「人間ドック」という呼称を与えてもらったのです。

誕生から2~3年後には全国で一斉に開花、公認へ

国立東京第一病院で産声を上げた人間ドックに、まもなく聖路加国際病院、昭和医科大学病院、東京女子医科大学病院が加わりました。4病院いずれも、受診者の受け入れ、登録、補充など現場の世話は、すべて当社が一手に担いましたが、スタッフ全員、開拓者の気概をもって殺到する受診者の対応に取り組みました。

その2~3年後には全国の病院でも人間ドックが次々に創設され、やがて厚生省(現・厚生労働省)から病院単独での人間ドック運営が公認されたことに伴い、当社が4病院と交わしていた検査作業の委託と受諾の契約を解消し、当局に返上しました。旧態然とした日本に1つの新しい医療システムが完成したのです。

ページのトップへ

ページ上部へ戻る